「前の院長のほうが良かった」と言われたあなたへ

先代から医院を引き継ぎ、院長として毎日診療に向き合っているあなた。スタッフのふとした一言や、目の前を横切る視線に、胸がざわつく瞬間はありませんか。

「前の院長先生のときは、こうじゃなかった」

面と向かって言われることもあれば、休憩室の空気からなんとなく伝わってくることもある。誰よりも医院のことを考え、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで残っているのは自分なのに、なぜかスタッフの心は自分ではなく「過去」を向いている。そんな感覚に、静かに傷ついてはいないでしょうか。

あなたが感じているその孤独は、あなたの努力が足りないから生まれているのではありません。

実は私自身も、まったく同じ場所で立ち止まっていた時期があります。周りからは「順調に引き継いだ二代目」に見えていたようですが、内側では毎晩、「自分はこの医院に必要とされているのだろうか」という問いにさいなまれていました。

当時の私は、とにかく早く成果を出さなければと焦っていました。先代が築いた医院を引き継いだ以上、「代替わりして良くなった」と言われたい。その一心で、次々と新しい取り組みを導入しました。ところが現場の反応は、想像とは正反対でした。会議で提案を出せば沈黙が返り、廊下で目が合えばすっと逸らされる。決して口には出さないけれど、「なぜ変えるの」という空気が、医院全体に静かに漂っていたのです。

一番こたえたのは、長く勤めてくれていたベテランの受付スタッフが、退職を願い出てきたときでした。理由を尋ねても「一身上の都合で」としか言ってもらえず、私は自分の何が悪かったのかも分からないまま、ただ立ち尽くしていました。今日はそんな、前院長と比べられて人間関係に悩むあなたへ、私が遠回りの末に学んだことを、経験も交えながらお話ししたいと思います。

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それは「能力」の問題ではなく「喪失」の問題です

多くの二代目・三代目院長が、この悩みを「自分のリーダーとしての能力不足」だと解釈してしまいます。だからこそ、もっと勉強しよう、もっと最新の設備を入れよう、もっと数字を上げようと、努力の方向をどんどん外側に向けていきます。

けれども、ここに大きな落とし穴があります。スタッフが本当に反応しているのは、あなたの能力ではなく「自分たちが慣れ親しんだ世界が失われること」への不安なのです。

前院長のもとで働いてきたスタッフにとって、これまでのやり方は単なる「業務のルール」ではありません。それは長い時間をかけて築かれた、安心できる日常そのものです。人は誰しも、慣れた環境を失うことに強い抵抗を感じます。行動経済学ではこれを「損失回避」と呼び、人は得られる喜びよりも失うことの痛みを、およそ2倍以上大きく感じるとされています。

つまり、あなたが良かれと思って持ち込んだ「改善」は、スタッフの目には「今まで大切にしてきたものが奪われる出来事」として映っている可能性があるのです。問題の本質は、あなたと前院長の優劣ではありません。変化のスピードと、心の準備のズレ、ここにこそ真の原因があります。

具体的な例を挙げましょう。ある二代目院長は、就任してすぐに電子カルテを最新システムに刷新し、予約管理もクラウド化しました。効率は明らかに上がったはずなのに、ベテラン衛生士から「前のやり方のほうが患者さんに寄り添えた」と言われ、深く落ち込んだそうです。彼が変えたのは「システム」でしたが、スタッフが失ったと感じたのは「自分がこの医院で積み上げてきた熟練」だったのです。

新しいシステムの前では、20年のベテランも入りたての新人も、同じ「初心者」に戻ってしまいます。長年かけて体に染み込ませた手際が、一夜にしてゼロになる。院長にとっては前進でも、スタッフにとっては、自分の価値が目の前で消えていくような体験なのです。ここを理解できるかどうかが、承継後の人間関係の分かれ道になります。実際、歯科衛生士の勤務先変更の理由として「経営者との人間関係」は毎年上位に挙がり続けており、技術やお給料以上に、人は「どう扱われたか」で職場に残るかどうかを決めているのです。

スタッフの心が離れる、3つの本当の原因

では、なぜ前院長との比較が起きてしまうのか。私が多くの院長と関わり、また自分自身を振り返る中で見えてきた、根本的な3つの原因をお伝えします。

原因1:正しさを「証明」しようと急いでしまう

二代目・三代目という立場は、常に「先代と比べられる」というプレッシャーとともにあります。だからこそ、多くの院長が「自分は先代とは違う」「自分にも実力がある」ことを、早く証明したくなります。

その焦りが、拙速な改革につながります。就任して数ヶ月のうちに、診療方針、業務フロー、人事評価まで一気に変えてしまう。本人は前に進んでいるつもりでも、スタッフから見れば「これまでの自分たちの働き方を否定された」と感じてしまうのです。証明を急ぐほど、信頼は遠ざかっていきます。

原因2:「前院長の否定」が「スタッフの否定」に聞こえている

新しい院長がつい口にしてしまう言葉があります。「前はこうだったけど、これからはこうしよう」。悪気はまったくありません。むしろ前向きな意図から出た言葉です。

しかしスタッフの耳には、まったく違って響きます。前院長のやり方を実際に担っていたのは、他ならぬ現場のスタッフたちです。ですから前院長のやり方を否定することは、そのやり方を支えてきた自分自身を否定されることと同じに聞こえてしまうのです。あなたが変えたいのは「過去のやり方」でも、スタッフが守りたいのは「過去の自分」なのです。

たとえば、ある三代目院長は、朝礼で「これまでのカウンセリングは説明が長すぎた。もっと簡潔にしよう」と伝えました。院長としては効率化の提案でしたが、そのカウンセリングを何年も担ってきたチーフ衛生士は、その日を境に口数が減り、やがて「自分はもう必要ないのかもしれない」と漏らすようになったそうです。院長が否定したかったのは「長さ」でしたが、彼女が否定されたと感じたのは「患者さんに向き合ってきた時間そのもの」だったのです。同じ改善を伝えるにも、「これまで丁寧に向き合ってくれたからこそ、その良さを残しつつ、もう少し伝わりやすくできないか」と言えたなら、結果はまったく違っていたはずです。

原因3:関係を築く前に、成果を求めてしまう

人が誰かの指示に心から従うのは、その人を「信頼」しているからです。信頼は、能力への尊敬だけでなく、「この人は自分を理解してくれている」という安心感から生まれます。

ところが多くの院長が、信頼という土台を築く前に、いきなり成果や協力を求めてしまいます。まだ心が通っていない相手から「もっとこうしてほしい」と言われても、人は動けません。信頼という橋を架ける前に、荷物だけを渡そうとしていないでしょうか。

明日から関係を変える、実践的な4つのアプローチ

ここからは、実際にどう動けば人間関係が変わっていくのか、具体的な方法をお話しします。私自身が試行錯誤の末にたどり着き、実際に効果を感じたものです。

1. 最初の3ヶ月は「変えない勇気」を持つ

就任直後は、あえて大きな変化を起こさないと決めてください。これは消極的な姿勢ではなく、戦略的な選択です。石川県のある歯科医院の親子承継の成功事例でも、後継者は無理な方針転換を避け、まずは既存のやり方を尊重しながら、少しずつ必要な改善だけを取り入れることで、順調な経営を維持したと報告されています。

まず「観察」と「理解」に時間を使う。この期間があるかないかで、その後の数年がまったく違ってきます。私自身、あのベテランスタッフを失って初めて、「変えないこと」もまた勇気ある決断なのだと痛感しました。急ブレーキではなく、まず現場のリズムに自分を合わせる。信頼はそのあとから、必ずついてきます。

2. 「教えてもらう」という姿勢で近づく

ベテランスタッフには、前院長時代のやり方の背景を、あえて質問してみてください。「この手順には、どんな意図があったんですか」と。すると多くの場合、そこには患者さんへの深い配慮や、長年の工夫が隠れています。

相手の過去を尊重することは、相手の存在そのものを認めることです。 教えを請う姿勢は、あなたの権威を下げるどころか、むしろ人間としての器を示すことになります。

3. 変える理由を「患者さんのため」で共有する

何かを変えるときは、決定事項として通達するのではなく、「なぜ変えるのか」を丁寧に共有してください。その理由の主語を「私が」ではなく「患者さんが」に置き換えるのがコツです。

「私はこうしたい」ではなく「患者さんにこう感じてもらうために、一緒にこう工夫できないか」。同じ変更でも、スタッフが当事者として関われる余地が生まれます。人は「やらされる変化」には抵抗しますが、「自分も参加した変化」には誇りを持てるものです。決定の主導権を少しだけ手放すことが、かえってチーム全体を動かす力になります。

4. コーチング的な「問いかけ」で主体性を引き出す

指示や命令ではなく、問いかけによってスタッフ自身に考えてもらう。これはコーチングの基本であり、医療現場でもスタッフの主体性を育てる手法として広がっています。「どうすればもっと良くなると思う?」という問いは、相手を評価する側から、一緒に考える仲間へと、あなたの立ち位置を変えてくれます。

2026年の人材育成トレンドでも、心理的安全性を高めること、管理職のEQ(心の知能指数)を育てることが重要なテーマとして挙げられています。心理的安全性とは、「ここでなら安心して意見を言える」という感覚のことです。院長が答えを押しつけるのではなく、まず問いを投げ、出てきた意見を否定せず受け止める。この積み重ねが、スタッフに「この院長のもとでなら、自分の考えを出していい」という安心をもたらします。問いかけとは、相手を信じているという、言葉にしないメッセージなのです。

今日、たった一つだけやってみてほしいこと

たくさんお伝えしましたが、明日からすべてを実践する必要はありません。今日、一つだけやってみてほしいことがあります。

それは、スタッフの一人に「いつもありがとう」と、目を見て伝えることです。

業務の指示でも、改善の相談でもなく、ただ感謝を。前院長と比べられて苦しいとき、私たちはつい「認められたい」と願います。けれども関係は、認められることからではなく、こちらが先に相手を認めることから動き始めます。感謝は、あなたから架ける最初の橋です。

小さな一言かもしれません。それでも、その一言が明日の空気を少しだけ変え、その積み重ねが半年後の景色をまったく違うものにします。

まとめ:あなたは、あなたのままで信頼される

前院長と比べられる痛みは、あなたが医院を本気で背負っている証拠です。その責任感の強さこそ、スタッフがいつか必ず信頼を寄せる理由になります。

大切なのは、前院長を超えることでも、過去を塗り替えることでもありません。過去を尊重しながら、あなたにしか築けない新しい信頼関係を、焦らず、一歩ずつ育てていくことです。あなたは前院長の代わりではなく、この医院の次の物語を紡ぐ、たった一人の主人公なのです。

とはいえ、一人で抱え込むには重すぎる悩みでもあります。「頭では分かっていても、どう動けばいいか分からない」「自分の医院の場合はどうすれば」と感じたら、どうか一人で悩まないでください。

あなたの状況を丁寧にお聞きし、あなたらしいリーダーシップの築き方を一緒に考える場をご用意しています。まずは気軽に、あなたの気持ちを話しにきてください。

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この記事を書いた人

梅田 亮のアバター 梅田 亮 代表取締役

株式会社PlumChan 代表取締役。医科・歯科専門でコーチング技術を用いたコミュニケーション研修やスタッフ面談代行を行い、心理的安全性の高い職場づくりを行っています。

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